かつて、日本にいる日本人以外の人たちを、一まとめに外人と呼んで、外国人からうんざりされていた時期があった。外人とは、外(ソト)の国の人のことである。
最近は、外人という言い方をかつてほど聞かないが、それでは、日本人の意識が変わったのかと言えば、必ずしもそうとも言えないように思う。
日本語自体が日本人のウチとソトを区別する意識を強める働きをする。
日本と外国ということで言えば、外国から入ってきたものは、いったん片仮名で受け取っていきなりウチに入れることはない。
パソコンやデジカメのように見える物であれば、片仮名のまま、日本人の意識のウチに入ってくるのにそれほどの時間はかからない。
しかし、抽象的概念はどうだろうか。
片仮名で受け止めた抽象的な概念、たとえば、コンプライアンスという概念が日本人の腹に落ち、自らのウチに入ってきて意識の中で定着するのには時間がかかるように思われる。
ウチソトの感覚は、別に日本と外国の関係に限らない。
自分が働い
若手社員が自分の働いている会社の社長のことを社内で話すときは
「社長がこうおっしゃいました」など
しかし、ウチの会社の社長のことを、ソトの人
ウチの会社でどれだけ地位が高い人でも、ソト
ウチソトを分けるのが全て悪いとは思わない。
しかし、日本が多文
(山口博嗣)
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